1月22日に親戚の不幸事で、浮羽の西光寺に行ってきました。不幸事というのは、通称、『戸畑のおばちゃん』が亡くなった事です。私の妻の母の叔母さんにあたります。この叔母さんは、以前、戸畑に住んでいたことから、この名前で呼ぶようになっていました。
この叔母さんには、子供がいない事もあり、戸畑や、引っ越し先の浮羽から、何時間もかけてこの直方へとよく遊びに来られていました。また、連れ合いの方が、大工さんで、随分前の話ですが、妻の実家のリフォームをするために長期間、御夫婦で泊まり込みでいらした時には、私たちの子供達を、随分可愛がって頂いたように思います。その御主人もすでに他界され、叔母さんは今月亡くなるまで病院の療養施設で10年を過ごされ、何と98歳で天寿をまっとうされました。3年位前に、この病院を訪ねた時、「私を、一緒に連れて帰って。」と、言われたときは、少し、心が痛みました。叔母さんは、いつ会って
も、笑顔で、嫌な顔一つすることなく、私たち家族に接してくれました。この恩に報いることが出来なかったのは、とても残念です。が、叔母さんのあの笑顔と、優しい笑い声は、私の目と耳に焼き付いています。ご冥福を祈ります。
親戚御夫婦が、叔母さんのお骨が安置されている西光寺に、私達家族を車で案内していただきました。西光寺(禅宗)にとっては、突然の訪問です。私達一行が、本堂前の庭に着くと、何やら年老いた姿の男性が、庭の草取りをしておられます。すると、親戚御夫婦が、親しそうにその男性と、少し話をしたかと思うと、その男性は、寺の玄関の中に素早く入ります。2~3分待ったでしょうか。すると、地味な袈裟を着ておられるものの、どう見ても、立派な和尚様が、玄関から出てこられたのです。(最初の姿に比べて見事な変身ぶりです。)あっけにとられた私達は、和尚様の手際よい指示に従い、本堂に導かれた
のです。私達は、すぐに、戸畑の叔母ちゃんにお線香をあげました。それが終わると、和尚様から、本堂の隅にある円形に並んだ椅子に案内されました。すると、和尚様は、すっといなくなり、その間に、私達は、それぞれの椅子に座っていました。すぐに、和尚様が、やってきてお茶をそれぞれに、配ってくれました。すっといなくなったかと思うと、今度は、ゴマ豆腐をすすめられたのです。(この手際よさとスピード感にはびっくりです。)
私達は、ゴマ豆腐というと、舌触りがザラザラとした物を思い浮かべますが、これは、全く違い、ゼリーのように柔らかく、のど越しの良いもので、噛むと、餅の様な少し弾力性のある美味しいものでした。味付けは、きな粉がまぶしてあり、柔らかいきな粉餅を食べているような感覚でした。後から、調べて分かったのですが、このゴマ豆腐は、和尚様が、作っておられるらしく、思わぬところで、おいしい一品に会うことが出来ました。
この歓待を受けつつ、和尚様のこのお寺の昔話を聞きながら、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。お別れを惜しみつつ、玄関で靴を履いている時、また、和尚様の姿が見えません。どうしたのかと思っていると、和尚様お手製の『金柑のシロップ漬け』『ゆずの甘露煮』のパックを数個手に持って出てこられたのです。私は、びっくりして、開いた口がふさがらないという感じになっていました。別れ際、私達は、有難うございましたというお礼をいう事しかできませんでした。(このお寺には、和尚様以外、誰もいる気配がありません。このおもてなしは、全て、和尚様お一人でやっておられるようです。それに
、金柑もとても美味しかった。シロップに良く漬かっているためか、皮と実が口の中で溶け合い、食べやすかったです。)
和尚様にこのブログが届くかどうかわかりませんが、あらためて、お礼を申し上げます。有難うございました。また、戸畑の叔母さんの供養宜しくお願いいたします。素晴らしい人格者に出逢うと、自分のやってきた事が恥ずかしくなり、ストレスや悩んでいる事が、阿保らしくさえ思います。ストレスや悩みは、自分のあり方考え方次第で、どうにでもなります。私も、いつか和尚さんの様に、誰かに「有難うございます」と言われるような、人生をおくれたらと思うようになりました。
終わりに、浮羽から帰る時に、三連水車に寄りました。その時の写真を載せます。
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