8回目のブログでの推薦曲は、藍美代子の「ミカンが実る頃」です。
音楽は、人の心を癒し励まします。そして、生きる糧にもなり得ます。

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8回目のブログでの推薦曲は、藍美代子の「ミカンが実る頃」です。
音楽は、人の心を癒し励まします。そして、生きる糧にもなり得ます。

私は、音楽の事をどうしてこう思うようになったのか。それは、私の父が無類の音楽好きだった影響だろうと思います。父は、ハーモニカを演奏し、国鉄を退職してからは、カラオケの先生をしていました。そして、洋間には、グランドピアノと大きなステレオがありました。特に、ステレオは、私が、小学校低学年の頃にはありました。ピアノは、私が大学に入学してから母が買いました。ですから、普通の家庭に比べると音楽に関しては、恵まれた環境だったに違いありません。父は、退職してカラオケの先生をしていたためか、国鉄で働いていた時より金まわりが良くなっていました。それほど、お弟子さんが多く教え方もうまかったという事だろうと思います。かといって、私は父から歌い方を教えてもらったことはなく、父の得意なハーモニカを何度か教えてもらったくらいで、音楽的な交流はあまりしませんでした。が、私が、大学の時に混声合唱団に入った事で、家にあるピアノを弾きながら歌を歌う事が多くなりました。そのため、私は、音楽用語をある程度知っていたので、父が、カラオケを教える時の音楽用語(クレッシェンドやリタルダンド等)を教える事が何度かありました。父は、楽譜を読めなかったので、演歌を全て耳で覚えていました。しかし、弟子に教える時にどうしても、基本的な音楽用語を知っておかないと、弟子に歌い方を教えることが出来ないと感じていたようです。そんな父でしたが、音楽的感性が鋭く、私が一人で歌っている時、それを聴いた父から、「~の部分、4分のⅠ音が下がっている。」とかよく言われました。私は、音程に自信がなかったため、妙に納得したものでした。「ミカンが実る頃」は、そんな父が、私に教えてくれた珠玉の一曲でした。後にも先にも、父から歌を聴かせてもらったのはこの曲だけでした。それだけに、この曲を聴くと、当時の父との思い出が鮮やかに蘇るのです。私の大学時代、父が、私と一緒に車に乗る時に、私に8トラックのカセットを見せました。その当時の流行歌を中心としたオムニバス形式のテープでした。父は、その中の一曲、藍美代子さんの「ミカンが実る頃」をかけてくれないかと言ったのです。私は、車の中でその曲を助手席で初めて聴いたのです。その時の衝撃を今でも忘れないでいます。演歌でもないし、ポップスでもありません。しいて言えばディスカバージャパンの一曲という感じでしょうか。澄んだ高音で、ソプラノのようであり民謡の歌声のようでもあるのです。それでいて、私達がかつて失った純粋な穢れのないまっすぐな爽やかな歌声がこの一曲に凝縮されていました。当時は、小柳ルミ子の「私の城下町」「瀬戸の花嫁」が流行っていた時期です。藍美代子は、その後にデビューしたため、小柳ルミ子の影に隠れてしまっていました。彼女のヒットと呼べるものは、残念ながらこの一曲のみですが、TVのアニメの主題歌やみんなの歌、そして子供番組の歌などを歌っていたようです。父親が事業で多額の借金をし、その借金返済のために、歌手活動を辞めてしまったようです。あのまま、歌手活動を続けてくれたら、もっとたくさんの歌を聴くことが出来たのにと残念でなりません。とは言え、私の家には、彼女の唯一のアルバム(もちろん、「ミカンが実る頃」が収められています。)があります。当時の私は、18歳ぐらいだったので、アイドルのLPを買うのはとても恥ずかしくて、レジのところにLPを持っていく時、心臓の鼓動
が早鐘のよう高まっていた事を思い出します。もう50年近く前になりますが、レコードプレイヤーがある一年前までは、このアルバムをよく聞いていました。今では、YOUTUBEでよく聴いています。
 音楽は、聴いていた時の自分の心情や時代の空気感、そしてかつて自分が持っていた若いエネルギー等を思い起こさせてくれます。若かったなあ。50年前だけど、音楽を聴いていると自分自身もその若い自分に戻ります。この感覚は、他の誰にも共有できない自分だけのものです。その感覚がある限り、音のタイムマシンに乗って旅を続けていこうと思います。音のタイムマシンは、まだまだ続きます。お付き合いください。

という事で、その懐かしのジャケット(わたしの四季)を貼付します。
シミやはがれたところがあります。申し訳ありません。

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