癒しの音楽編 『80日間世界一周』ヴィクター・ヤング

 『80日間世界一周』(Around The World The 80 Days)は、1956年に公開されたアメリカ映画です。ジュール・ベルヌの冒険小説を映画にしたもので、アカデミー賞を5部門獲得しました。この曲もアカデミー最優秀音楽賞を授賞しました。作曲は、ヴィクター・ヤングです。主人公のフィリアス・フォッグには、イギリスの俳優デヴィッド・ニーヴン。アウダ姫役は、シャーリー・マクレーンが演じています。この曲を私は、映画封切り当時、一歳でしたので、当然見ていません。後にTVで、観ました。が、映画そのものも音楽もあまり、印象に残っていませんでした。ところが、この音楽が、TV『兼高かおる世界の旅』で1959~1990年まで使われる事になって、この音楽を通して世界の事が気になり始めたのです。

目次

 Ⅰ ヴィクター・ヤングについて

 Ⅱ 癒しの音楽編 『80日間世界一周』ヴィクター・ヤング

 Ⅲ 掟破りの新婚旅行

Ⅰ ヴィクター・ヤングについて

 ヴィクター・ヤング(1899~1956)は、イリノイ州シカゴ出身のポーランド系ユダヤ人。アメリカの作曲家、指揮者、編曲家、ヴァイオリン奏者。最初は、コンサートのヴァイオリン奏者として活動したが、ポピュラー音楽に移ります。ビング・クロスビー等に歌を提供したり、1930年代の中ごろより、映画音楽に専念するため、ハリウッドに移ります。アカデミー賞に22回ノミネートされますが、生前に、授賞することがありませんでした。死後の1956年にこの『80日間世界一周』で劇・喜劇映画音楽賞を授賞します。授賞式には、夫人のリタ・キネルさんが、オスカー像を受け取ったそうです。『愚かなり我が心』や『大砂塵(ジョニー・ギター)』『シェーン』『ラブレター』を、今でも耳にする機会がよくあります。皆、美しい曲ばかりです。今では、イージーリスニングとして、よく聴く音楽ばかりだと思います。ヴィクター・ヤングの人となりは、資料がなく全くわかりませんが、こんな美しい曲を書くのですから、人格者だったのだろうと想像します。

Ⅱ 癒しの音楽編 『80日間世界一周』ヴィクター・ヤング

 映画では、一部気球を使って世界を巡ります。(今、マスコミで話題の気球ですが、この気球は、乗り物としての気球です。)ポスターでも、そのシーンが使われています。世界を巡るには、飛行機がない時代の当時では、最高の乗り物だったのかもしれません。この映画の主題歌は、この気球に乗って悠々跳んでいる姿とピッタリと合います。ゆったりとしたリズムで、壮大なスケール感でオーケストラを奏でると、大きなゆりかごでゆったり揺られているような感覚さえ覚えます。オーケストラが大編成になると、交響曲の様な、哲学的で難しいものを思い浮かべますが、この曲には、それが全くなく、自分ひとりを温かく見守り、包み込んでくれているような気になります。

 この曲は、以前、紹介したナット・キング・コールも歌っていますので、英語の歌詞がつけられています。それだけに、このオケを聴いていると一緒に歌いたくなってきます。また、メロディーが平易であり、覚えやすいのが、歌いたくなる理由の一つでしょう。そういえば、日本の童謡は、ほとんど、平易で、歌いやすくなっています。童謡と同じくらいやさしく、しかも、美しい事が、今でも、この曲が、日本で多く使われている大きな要因だろうと思います。 

Ⅲ 掟破りの新婚旅行

 今から、極めて私的な事を話したいと思います。今を去る39年前の事です。私は、妻と結婚する事が決まり、こういう機会は、二度と来ないだろうという事で、新婚旅行は海外に行く事を妻に提案しました。しかし、妻は、びっくりした様子で、新婚旅行は、国内で充分と言った感じでした。当時の新聞には、添乗員付きの海外旅行の誘いがたくさんありました。香港、東南アジア、ハワイ、アメリカ、そして、ヨーロッパ等です。たしか、エジプトもあった様に思います。スケジュールは、五月の連休を中心に組んであります。その中で、私の目に留まったのは、ヨーロッパ旅行です。香港から、確かバーレーンを通って、最初に、フランス、西ドイツ、スイス、ロンドンを旅行します。『ロマンチック街道を往く』というキャンペーンだったと思います。私は、妻に、この旅行を強く押しました。『兼高かおる世界の旅』で観た、音楽と映像が焼き付いていたのです。「自分もあんな旅をしてみたい。」そんな意識が、妻を強引にこの旅へと引っ張ったのです。

 さて、妻を説得出来たのも束の間、問題は、自分の職場の学校です。連休があるとはいえ8日間余りの長期休暇です。クラスの子供達や上司の方々に、どう言ったものか悩みました。が、この経験は、二度と来ないという気持ちが上回り、上司の方にどう話したのか、全然覚えていません。ただ、快く、承知してくれたとは感じています。思い出すと、温かく送り出してくれた先生方や子供達に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 さて、名前の通り、客は、新婚旅行の方々が、自分達を含めて三カップル、熟年夫婦が一組でした。その他の方々は、あまり、話さなかったので、覚えていません。その道中では、初めて見る海外の風景や外国人の数々(これは当たり前)、に圧倒されっぱなしでした。TVで見る外国と、実際観る外国とでは、雲泥の差がありました。香港での船上レストランのイルミネーションの輝き、バーレーンでの金細工の素晴らしさ、ヨーロッパの建築の妙、エッフェル塔で見るパリの夜景、レマン湖で聞くブラスバンドの響き、ライン川でのカタカナで書いてあった「ローレライ」これは、びっくり。パリの子供達としたバスケット。ロンドンのスーパーで見つけた「カキのたね」と、おいしくなかった小さな青りんご。マダム・タッソーの驚くべき人形達。「あっ、ベートーベンだ。」と思ったら、旅行仲間の旦那さんが、ふざけて、人形のマネして椅子にじっとして坐っていたのです。外国人観光客が、急に動いた人形にビックリ仰天していました。そして、ルーブル博物館とベルサイユ宮殿のあまりの大きさ、綺麗さを通り越して、ただただ、ビックリ。

 ヨーロッパ旅行では、ヨーロッパ文化の表の部分ばかりを観てきました。観る私達は、当然、いい気分になりました。が、その中にも、暗い影の部分も目にします。ロンドンの地下鉄電車の床に散らばってるゴミの多さ。ホテルに泊まっても、水道は出ますが、ちょろちょろしか出ず、しかも、添乗員さんから飲むとお腹をこわすと言われ自由に飲めません。バスで、パリの市内観光をしていると、年端もいかない子供が、観光客のバッグをひったくりします。見た目の美しさと現実の落差に開いた口が塞がらない私達。百聞は一見にしかずと言いますが、本当に私もそう思いました。

 わずか、8日間の旅でしたが、観れば観るほど、日本の素晴らしさが、実感できる貴重な時間となったのです。日本人が、長い年月をかけて、世界に誇れる自然や建築物そして、日本人としての民度の高さと個性。そして、農業や工業における技術。少しずつですが、世界は、日本の文化に接し、その文化や技術をを取り入れつつあります。その一つが、臼井みかお先生が発見したレイキです。レイキは、世界の医療機関で、使われていますが、どうしたことか、日本ではまだまだ浸透していません。日本人は、自分達の長所を理解していません。これは、島国であったため、外国の方々と接する機会が少なかったからでしょう。日本や日本人の長所は、私達日本人が、アピールしなくても、自然にわかってきます。とは言え、アピールしなかったら、いつのまにか、外国の方から、土地や建物等を買い取られてしまう事もありえます。(日本の島が外国に買い取られたニュースが、飛び込んできました。)日本国は、日本人のためにあります。外国の方が、日本人になり、日本語を話し、日本のために活動するのなら、日本のためにもなるので、日本人として接していくのは当然でしょう。肌の色とか目の色は関係ありません。日本人も、外国に移住し、その国の国籍をとり、その国の人として、暮らしている人が大勢いるのですから。

 国際化が進み、隣の人は、元々、どこの国の人?という時代が来るかもしれません。ですが、この日本に住み日本語を話し、日本の地域の一人として活動する限り、その人は、日本人なのです。残念ながら、経済的事情かもしれませんが、外国に日本の資産を売り渡す人が増えています。売り渡したら、もうそこは、日本ではなく、外国になってしまいます。日本人なら、「今だけ、金だけ、自分だけ」に陥ることなく、日本の国土と文化を守るために頑張って欲しいと思うのです。ちょっと、政治的な話になりましたが、政治というより、日本の文化や精神を守る事で、日本の美しさを守っていきたいという思いで、このブログを書きました。

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