『太陽がいっぱい』は、1960年のフランス・イタリアの合作映画で、ルネ・クレマン監督の代表作です。音楽は、ニーノ・ロータ。主演は、アラン・ドロン。彼が、世界的スターとなるきっかけとなった作品です。この頃から、二枚目といえば、アラン・ドロン。という時代がしばらく続いた様な気がします。この映画は、音楽の美しさと海の美しさ、そして、アラン・ドロンの美しさ。と相反する人間の危うさや醜さを太陽が、ただ、何も言わず見つめているような作品となっています。
Ⅰ ニーノ・ロータについて
Ⅱ 癒しの音楽編 『太陽がいっぱい』ニーノ・ロータ楽団について
Ⅲ 人間の欲深さが、人間を滅ぼす
Ⅰ ニーノ・ロータについて
ニーノ・ロータ(1911~1979)は、イタリアの作曲家。クラシック音楽と映画音楽で活躍。本人は、「本業はあくまでクラシックの作曲であり、映画音楽は、趣味に過ぎない」と話していました。が、映画音楽に多大な業績をあげています。1968年の「ロミオとジュリエット」や『ゴッドファーザー』の「愛のテーマ」では、人々に今でも親しまれています。私は、この二曲を今でもカラオケで歌っています。
北イタリアのミラノ出身で、11歳でオラトリオ、13歳でオペラを作曲し、ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院で学ぶ。その後米国に渡り、カーティス音楽学校に学びます。帰国後、ミラノ大学で、文学と哲学を並行して学びます。卒業後は、音楽教師となり、クラシックや映画音楽を作曲しました。
ネットでは、これくらいしかわかりませんが、クラシック映画音楽ともかなりの数の作品があるようです。67歳で心臓発作で亡くなっています。1971年には、ニーノ・ロータ音楽院設立されているそうです。
Ⅱ 癒しの音楽編 『太陽がいっぱい』ニーノ・ロータ楽団について
『太陽がいっぱい』の主題歌は、ニーノ・ロータが作曲し、演奏は、ニーノ・ロータ楽団によるものです。映画の中で随所に使用されています。この曲は、あまりにも有名なので、ここで私が、何を書くよりも、演奏を聴いていただいた方が、癒しになる事は間違いありません。こういう犯罪映画に、これほど美しい音楽があると、犯罪が美化されてしまう危険があるほど、この音楽には麻薬性があるような気がします。私自身、このブログを書き出してから、この音楽が頭の中だけでなく体中を支配しているような気さえします。
それにしても、『ゴッドファーザー』や『ウェストサイドストーリー』、『パピヨン』『ああ、無情』等、犯罪がからむ映画には決まって、美しい音楽が使われています。苦しみや悲惨さをこの音楽が、洗い清めてくれるからかもしれません。人間は、どんな人も過ちを犯すのが常です。いつも正しい言動で生きている人はいません。そういう意味から、人は、こういう音楽を聴いて自分の言動を洗い清めているのかもしれません。
Ⅲ 人間の欲深さが、人間を滅ぼす
人間、欲があるのは当たり前です。しかし、その欲が過ぎれば、身を滅ぼすのが映画の中のトム・レプレーという所でしょう。昔から、こういう映画はよく見ました。『陽の当たる場所』や『明日に向かって撃て』『赤い崖』等が、そうでしょう。ところが、欲を潔くあきらめ、今あるものを大切にしていくと、逆に富が転がってくるという話もあります。今、身近にある人や物を大事にし、感謝して行く事で、幸せが引き寄せられていく事は、今、私が実感しているところです。確かに、現実には、いい事ばかりがある訳ではありませんが、物は考えようです。良くない事が起きても、この程度で済んだのだから、良しとしようとか、大丈夫。または、ツイテルと思えば、何でもない事のように思えてきます。
あらゆる身近な人や物に感謝するという事は、現在自分が置かれている状況に満足しているという事です。現在の自分に満足している人は、人や物に対し強い欲を持つことはありません。しかし、欲や願望を持つことは、人間にとって、当たり前のものです。衣食足りて礼節を知るという言葉も あります。
欲深くならず、適度な願望を持って、人や物に感謝しながら接していければと思っています。