癒しの音楽編 『聖なる泉』ザ・ピーナッツ

写真を観たら分かると思うのですが、この曲は、1964年の『モスラ対ゴジラ』で使われた音楽です。インファント島の水爆実験から免れた唯一緑のある聖なる泉で小美人の妖精が歌う歌です。作詞作曲とも伊福部昭が担当しています。詞は、ミクロネシアの言語を元にした歌詞で、「美しい泉の傍らにて休め」という意味だそうです。モスラ映画というと、直ぐに思い浮かべるのが、『モスラの歌』ですが、ザ・ピーナッツが歌う二人のハーモニーとメロディーのあまりの美しさに癒しを感じ紹介することにしました。

目次

Ⅰ ザ・ピーナッツについて

Ⅱ 癒しの音楽編 『聖なる泉』ザ・ピーナッツについて

Ⅲ 癒しの音楽とは

Ⅰ ザ・ピーナッツについて

 ザ・ピーナッツは、坂本九とともに国際的に活躍した数少ない日本人歌手で女優です。愛知県知多郡常滑町生まれの名古屋育ちです。発売したシングル・アルバムの累計は1000万枚以上です。姉伊藤エミ(本名澤田日出代1941~2012)享年71歳。 妹伊藤ユミ(本名伊藤月子1941~2016)享年75歳。高校2年の時中退し、レストラン「ザンビ」で歌っていましたが1958年に渡辺プロにスカウトされ、上京し、宮川泰氏にレッスンを受けます。そして、1959年に「可愛い花」でデビューします。1961年からは、「シャボン玉ホリデー」でメイン司会をつとめます。

 初期のザ・ピーナッツのイメージとして、映画『モスラ』での小美人役とその映画での歌が頭から離れない方が多いのではと思います。映画を観た後、「モスラーやっモスラー」という言葉と訳の分からない歌詞が、頭の中をグルグルまわり、姉と一緒に歌っていたことを思い出します。当時、ポップスがザ・ピーナッツなら演歌は、こまどり姉妹という図式がありました。ライバルというより、お互い励みにして活動して、仲も良かったそうです。スポーツでは、江川世代とか、松阪世代という言葉があります。その世代の人達は、その世代のトップに追いつき追い越せという気概があったようです。ポップスの世界では、このザ・ピーナッツがいて、世界の音楽の潮流を日本は遅れずに吸収できたのかもしれません。あくまで、私見ですが。

 ザ・ピーナッツは、日本だけでなく、和製ポップスを世界に広めた功績が大きく、東西ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば、「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどその活躍ぶりが評価されたようです。その活躍の中で、一番圧巻だったのは、「エド・サリバンショウ」での『恋人よ我に帰れ』の歌唱だったと思います。この時のスキャットは、私の中では、歴史的名演です。今でも、その動画が観れると思いますので、YouTubeで観られてください。

Ⅱ 癒しの音楽編 『聖なる泉』ザ・ピーナッツについて

 この曲を私は、『モスラ対ゴジラ』で初めて聴きました。小学校三年頃だと思います。当時、この曲のタイトルさえ知りません。この曲より『モスラの歌』の方がインパクトがあり、分かりやすかったので、『聖なる泉』の曲の事は、記憶の奥に収まっていたような気がします。しかし、TV等で幾度となく繰り返し、映画を観るにつけ、『聖なる泉』のメロディーが、私の心にだんだん深く入り込んできました。いつしか、YouTubeでも何度も聴き続けるようになりました。苦しい時、悲しい時、無力感に苛まれている時、まだ、レイキを知らない時でした。この美しいメロディーとハーモニーが、私のぽっかり空いた心のスキマをしっかり埋めてくれたのです。

 映画の中で、インファント島は、人間の身勝手な水爆実験で、草木も生えない島になってしまいます。しかし、その島に、放射能に汚染されていない泉がわずかに残っていたのです。そのわずかに残った緑の残る泉を島民は、命をかけて人間から守っています。そして、その島の守り神がモスラです。モスラと泉は、島民の生きる希望だったのかもしれません。日本は、ゴジラに破壊され続ける中、日本人達が、島民に島民の守り神であるモスラの助けを乞うのは、少し、身勝手というものでしょう。映画の中では、日本人のために、モスラは、身を賭してゴジラを倒してくれます。が、人間が失った信頼を元に戻すのは、難しいのが現実です。

 現実の世界では、未だに、絶えない戦争が続いています。その原因は、人間自身が、人間を信頼できないからこういう結果になっているのではと思います。この映画は、50年以上も前から、繰り返し、TVで放映され続けて来ました。私の心には、信頼する事の大切さがしっかり、根づいています。「人間、騙すより、騙される方が幸せ」と母は、良く語ります。インファントの島民たちは、たとえ、騙されても日本人たちを助けようと守り神であり希望であるモスラを日本におくります。考えてみれば、私は、騙された事があります。しかし、人を信頼し助けようとした時、気持ちが高揚し、幸福感のような感覚を味わいました。騙されたと分かった今でも、恨むより騙した方に何とか立ち直って欲しいと思っています。

 『聖なる泉』とは、イヤシロチです。そして人間の心で言うと愛と光のように感じます。今、私達は、この『聖なる泉』を広げる事でしか、戦争は回避できないように思えます。かつて栄えた文明は、イヤシロチがあったからこそ、栄えました。しかし、そのイヤシロチを特定の人間が我が物顔して、食い物にしてしまい、砂漠になってしまっています。人間は、豊かな大地がなければ、文明は栄えません。イヤシロチである豊かな土地を砂漠化させることなく、奪い合うことなく、その土地の実りをその人々同士信頼し、平等に分配する事でしか平和はないように思うのです。

 『聖なる泉』の傍らで、信頼しあえる人々と共に休み、語り合い、そして、『聖なる泉』を聴きながらエネルギーの充電が出来るような場所が増えればと考えています。

Ⅲ 癒しの音楽とは

 音楽という字は、音を楽しむと書きます。音には、楽器の音もあれば自然の中の鳥や虫の声、そして動物の鳴き声等があります。その音を楽しめれば、音楽になります。音に関して日本人は、世界の中でも稀有な民族です。別に、歌や楽器演奏が特別優れていると言っている訳ではありません。日本人は、虫の声を楽しめる数少ない民族なのだそうです。えっと思われる人も多いと思います。が、日本人以外の人々は、虫の声が聞こえないとは言いませんが、ただの雑音や騒音としか聞こえないそうなんです。日本人は、秋になると様々な虫の声を聴き分けて楽しんでいます。日本人は、虫の声を楽しんでいるのです。これも音楽です。日本人の中には、音楽は聴かないという人もいると思います。しかし、虫の声は聞こえるはずです。聞こえるという事は、虫の音楽を楽しんでいるという事です。日本には、『虫の声』という曲があります。日本人は、虫の鳴き声を擬声語というか言葉にして楽しんでいるのです。

 私の義父である赤星月人は、『虫かご』という油絵の大作を多く手掛けました。虫を描くために、毎年色々な虫を育てていました。そして、その声を楽しんでいたのだろうと思います。私は、義父が歌っている所や音楽を聴いている所を見たことがありません。妻も、子供の頃、家の中、ラジオで音楽を聴いたりすると厳しく叱られていたそうです。『虫かご』の絵には、管楽器やバイオリンそして様々な虫達が、饗宴しています。その饗宴を興味深く見ている子供の眼。きっと、赤星月人は、絵を描きながら音楽という虫の声を聴いていたのだと想像します。

 癒しの音楽は、どんな音でも、実際に聴いていなくても良いのです。自分の頭の中にあれば、癒しの音楽はあるのです。映画『アンダンテ』の主人公千華は、電車の窓からたわわに垂れて風に揺れている稲穂の波を見て、パッヘルベルの『カノン』を心の中で奏でます。皆さんには、私のブログを色々読んでみたり、色々な音楽を聴いてみたりすることで、自分の心の中に癒しの音楽を常備しておけば、いつでも、再生出来るのです。

 癒しの音楽は、これで、いついかなる時でも心の中で奏でることが出来ます。日本人には、虫の声を癒しの音として聴く感性があります。そういう感性を使う事で、きっと、あなたは、安定した人生 をおくれるのではと思います。

 

 スイカの甘さに誘われて集まってきた虫達。人々は、花火の祭りに集い、楽器達は、音楽を奏でます。ワイワイガヤガヤしながら楽しい音楽に興ずる虫と楽器達。トランプでもしながら遊ぼうかとでも言っているような賑やかな絵です。そして、その賑やかな様子を静かに見ている子供達。

 この絵は、赤星月人画伯が、描いた絵です。この絵は、湖畔で、泉とは違いますが、どちらも水の周りには、動植物達が集まります。Neospacefuuでも、『聖なる泉』のような、静かな賑わいを皆様に提供できればと考えています。是非、遊びにでも来るつもりで、このアトリエに来られて下さい。きっと、何かいいものが見つかります。

Neospacefuu

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