1961年のアメリカのミュージカル映画です。監督は、ロバート・ワイズとジェローム・ロビンズ。音楽は、レナード・バーンスタイン。作詞は、スティーブン・ソンドハイムです。写真は、トニー役のリチャード・ベイマー、マリア役のナタリー・ウッドです。ただ、リチャード・ベイマーも、ナタリー・ウッドも実際の声ではなく歌声が吹き替えとなっています。作品としては、素晴らしいのですが、こういう事は、当時、良く行われていたらしく、少し残念です。特に、ナタリー・ウッドは、自分の歌声が、採用されると思っていたため、吹き替えを知って激怒したと伝わっています。当然です。
目次
Ⅰ レナード・バーンスタインについて
Ⅱ 癒しの音楽 『ウェスト・サイド・ストーリー』バーンスタインについて
Ⅲ 信頼をする事について
Ⅰ レナード・バーンスタインについて
バーンスタイン(1918~1990)は、ユダヤ系アメリカ人で指揮者、作曲家、ピアニストです。アメリカが生んだ最初の国際的指揮者です。ヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティらと並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしたスター音楽家です。マサチューセッツ州ローレンスに生まれます。家族には、音楽的環境は、全くなかったそうですが、家に蓄音器があったことで、赤ちゃんの頃からその蓄音器の音楽に耳を傾けるのが大好きだったようです。父親は、理髪店をしていましたが、その父親の大反対を押し切って音楽家になったようです。ボストンラテンスクールを経てハーバード大学・カーティス音楽院で指揮者を志します。1943年にニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者になり、同年、大指揮者ブルーノ・ワルターの病気の代役で指揮をした事で、一大センセーションをおこす事になりました。そして、1958年には、同楽団音楽監督になります。この時、40歳くらいの若さですから、スゴイです。
バーンスタインの凄さは、指揮するだけでなく、作曲もし、ピアノ演奏もする事です。八面六臂の活躍と言いますが、その通りの活躍でした。
Ⅱ 癒しの音楽 『ウェスト・サイド・ストーリー』バーンスタインについて
『ウエスト・サイド・ストーリー』は、ブロードウェイで上演されています。が、今回は、1961年の映画版を紹介します。また、2021年にもスティーブン・スピルバーグが、リメイクしましたが、その話は、割愛します。
この映画では、『アメリカ』『アイ・フィール・プリティ』『マンボ』『Somewhere』『トゥナイト』『クール』『マリア』等の名曲があります。私の中で特に聴いているのは、『Somewhere』と『トゥナイト』と『マリア』です。この三曲は、世界中の様々なアーティストが、取り上げているようです。
今回は、その中で、日本人アーティストを取り上げます。
先ずは、『トゥナイト』を、井上芳雄と新妻聖子、『マリア』を、ジョン・健・ヌッツォ(日系人)で紹介します。この二つの曲を聴いて、日本人アーティストもミュージカルを本場のア—ティストと比べても遜色ないまで上演出来る所までよく来たなという感じがします。
この三人は、共通項があります。皆美声を持っている事。声がどこまでも伸びる事。そして、ピアニッシモが美しい事等です。左のミュージカル界の二人は、これからも、数々の舞台に立ちたくさんの方々を楽しませる事の出来る逸材です。右のジョン・健・ヌッツォは、オペラ界のスターです。ミュージカルの良いところは、同じ曲を様々なアーティストが披露してくれる所です。『マリア』は、オペラ界のテノールが歌う事もあります。そういえば、ミュージカルであるマイフェアレディ—の『運がよけりゃ』をオペラ界の立川澄人が、歌っていました。(多分紅白で、随分昔に歌っていました。)
Ⅲ 信頼することについて
実はこの私、30年ほど前、直方市民劇で、ミュージカルの舞台に二度ほど立ったことがあります。一つは、『青春に乾杯』のテノールの藤原義江役で、もう一つは、『はばたけ天使たち』の主役である婦長さんの相手役としてです。どれも、緊張しっぱなしでした。歌を歌う事には慣れていましたが、演技は、どうも上手くいかず、セリフも頭に入りません。皆、仕事を終えてから舞台稽古です。しかし、自分が出る時の稽古の時間がなかなかとれません。どうしても、自分の時間がまわってこず、焦りがちになります。演技では、セリフと動作と間がしっかりあっていないと不自然になります。その不自然さがなくなるまで、みっちり繰り返し練習しないと、観れたものではありません。私は、主役ではなかった分、気楽なところはありました。が、しかし、本番になると、極度の緊張感におそわれました。
その緊張の中で、わかったのは、緊張しているのは自分だけではないという事です。それが分かった時、なんだか自分の気持ちが落ち着いてきたのです。私は、自分の身の丈に合った出来る事をしよう。そして、周りの皆の演技に合わせる事だけを考えて演じたのです。30年後、私は、久しぶりに『はばたけ天使たち』のビデオを観ました。そこには、今の自分でない自分がいました。少し、カッコつけた自分です。劇が終わった後演出をしてくださった窪田さんが、出演者全員にインタビューをしてくれました。私は、「大変でしたけど、終わってみると演技をする事が癖になりそうです。」と話していました。私は、この時の歌や演技が認められ、『青春に乾杯』で、日本の国際的なテノールである藤原義江を演じる事になってしまいました。私のパートは、ベースですが、なんと飛び越えて、テノールの演技をする事になったのです。『はばたけ天使たち』は、コミカルな喜劇的要素が多分にありましたが、『青春に乾杯』は、最初から最後まで直方の史実を元に脚色したものです。言わば、悲劇と言っても良いものです。私が歌う歌の数もたくさんありました。その窪田さんの期待に応えるべく頑張り続けた自分。この時の演技が、その期待や信頼に応えられるものとなったのかどうかビデオを見ていないので分かりませんが、いつか、ゆっくり見てみたいものだと思っています。
これらの舞台を踏んでみて、いい舞台というのは、お互いの信頼がなければ、あり得ないという事、その信頼は、努力し続ける事でしかありえないと思うようになりました。そして、やり終えて良かったという日がいつか来る事を待とうと思うようにもなりました。人生は、劇のように終幕のような日がいつ来るのかわかりません。期待されることは、嬉しいですが、それに応える事は、辛い事もあります。しかし、一つ一つ努力を続けていけば、いつか、区切りの日が来ます。その時を楽しみにしながら、日々努力し続けたいと思うのです。
『ウエスト・サイド・ストーリー』は、残念ながら悲劇に終わりました。が、今を生きているあなたには、信頼を築き友情や愛を育むことで幸せな日々をおくって欲しいと思っています。
ただ、人間の幸せには、信頼も大切ですが、健康が大きく関係します。アントニオ猪木さんは、「元気があれば、何でもできる」と良く言われていました。私は、「健康であれば、幸せになる事が出来る」と考えています。もちろん、健康でなくても幸せになる事ができますが、健康でなければ、充分な行動が出来ませんし、行動出来たとしても、満足な幸せは得られません。先ず健康に留意し、周りの人々と信頼を築きながら、皆様にも幸せになって欲しいと思います。Neospacefuuでお待ちしています。