癒しの音楽編(アルディラ=エミリオ・ペリコーリの歌)
この曲は、映画『恋愛専科』の中で使われた有名な曲です。1962年のアメリカ映画で、トロイ・ドナヒューと当時新人のスザンヌ・プレシェットが共演しました。原題は、Rome Adventureと言います。トロイ・ドナヒューは、前に紹介した1959年のアメリカ映画『避暑地の出来事』にも出ていましたので、覚えている方もおられると思います。二人は、この映画の競演がきっかけで結婚していますので、画面に写る二人の雰囲気(恋愛)は、本物だったような気がします。ただし、9か月で離婚しているようですが。
Ⅰ 映画『恋愛専科』について
この映画は、トロイ・ドナヒューの人気が絶頂の時の映画だろうと思います。1936年生まれなので、26歳。テレビドラマでは、同時期にサーフサイドシックスの探偵役で世界的な人気を博しています。また、ハワイアンアイにも出ていました。一方スザンヌ・プレシェットは、1937年生まれなので、一つ違いの25歳。
アメリカ映画で、ほとんどがイタリアロケでの映画とっています。イタリアロケの映画は、キャサリンヘップバーンの旅情(1955年)が思い出されます。この映画に出ていた相手役のイタリア人俳優ロッサノ・ブラッツィも『恋愛専科』に出ていました。この時代は、恋愛映画がたくさん撮られていた時代のようで、それに合わせてイタリアの各地の観光地がたくさん出ています。私にとって『ローマの休日』と『避暑地の出来事』『慕情』『ひまわり』等は、外国に対する憧憬が高まった時期です。『ローマの休日』は、白黒でしたが、この映画は、カラーでしたので、日本にないローマの遺跡や山々の美しさに、目を奪われ、この映画を観るたび、いつか行きたいという気持ちが高まっていた様に思います。しかし、未だに、行けていないのは、残念です。行けるチャンスはあったのですが、当時、まだ、イタリアは、治安が悪く、行く事を諦めてしまいました。
映画の筋については、アメリカの大学の司書であるブルーデンス(スザンヌ・プレシェット)が、学生に恋愛専科という本を渡した事から、大学の風紀上の問題となりました。それをきっかけに、ブルーデンスは、恋愛のノウハウを学ぶためにイタリアに(船で)旅立ちます。イタリアの下宿先でブルーデンスは、ドン(トロイ・ドナヒュー)と知り合い、イタリアを二人で観光します。そのイタリアの様々な有名な観光地をバスやスクーターで巡ります。スクーターでの観光は、『ローマの休日』を彷彿とさせます。その中で、あるナイトクラブで聴くエミリオ・ぺリコーリの歌『アルディラ』は、この映画のクライマックスと言っていいでしょう。映画での二人の結末は、正直忘れてしまい、書くことは出来ませんが、結末はどうあれ、風光明媚なイタリアと二人の恋を語らう様子の美しさは、目と耳にしっかりと焼き付いています。
Ⅱ アルディラの歌を知るきっかけ
この歌を知るきっかけとなるのは、この映画を自宅のテレビで観てからです。時期は、私が中学か高校生の時です。カラーテレビで観たため、イタリアの風景の美しさに見とれていました。私は、よく映画を観ていましたが、その当時は、アクションものより、こういう大人びた映画を好んで観ていました。以前に書いた『サウンドオブミュージック』は、子供向けのようですが、戦争の事もあり、その背景を考えながら観るのが興味深く観れたのだと思います。しかし、恋愛映画に関しては、美男美女の恋物語の感情の襞を楽しむというより、ただ、うっとり見とれているという事の方があたっています。その中に更に私の嗜好を満足させる、この美しく甘美なメロディー(アルディラ)が流れて来るのです。しかし、この歌は、日本語でも英語でもありません。全く意味がわかりません。今は、イタリア語だと分っていますが、当時は、何語だか全然分りませんでした。それでも、繰り返し歌う言葉、アルディラとテ
ィセイトゥーは、直ぐに覚えました。この言葉は、妙に私の耳に心地よく響いたのです。
Ⅲ 大学の時のエピソード
大学の時のエピソードと書きましたが、それを書く前に高校の時のエピソードを書かなくては、私の心情は、充分に分らないのではと思います。高校の時、私は、合唱部に所属していました。その中に、親しくしていた友と音楽について語り合いながら、帰りの道を歩くのをとても楽しみにしていました。
その話の中に出たのがこの歌でした。互いに好きな歌がこの歌だとわかったのです。二人は、びっくりして声も出なかった様な感じでした。御館橋を上がりながら、笑いながら話したその時の光景を今でも鮮明に覚えています。
数年後、私は、北九州大学の混声合唱団に所属していました。なんと、私は団長です。当時、合唱団は、福岡教育大学と九州大学の混声合唱団とで年一回のジョイントコンサートしていました。そのコンサートで、三大学一緒に歌う曲が、なんとこの『アルディラ』と決まったのです。しかし、曲は有名でも、この歌の原語の歌詞と合唱の譜面がありません。当時は、ネット検索など出来ませんでした。探すのは、有名楽器店か図書館です。私も、楽器店に行って何度探せど見つかりません。が、確か九大の学生が歌詞(原語)を見つけたらしく、楽譜はメロディーに合唱と伴奏譜を付けて何とか歌うことが出来たのです。私は、バスだだったので、主旋律を歌うことが少なかったですが、アルディラを歌える嬉しさは、格別なものがありました。ただ、その時の歌詞は、原語ではなく、訳詞を歌ったような気がします。いずれにしても、この一曲は、私の人生で忘れられない一曲となりました。
Ⅳ ① 癒しの音楽『アルディラ=エミリオ・ペリコーリ』
アルディラは、『Al di la』という字で書きます。世界中に人がこの歌を歌っています。映画の中で歌ったエミリオ・ペリコーリ、ジェリー・ベール、コニー・フランシス等です。日本では、ペギー葉山が歌っています。三大学で歌った日本語歌詞は、たぶん、この歌詞だと思います。1961年のサンレモ音楽祭の優勝曲だそうで、なんとルチアーノ・タヨーリとベティ・クルティスの二人がこの歌を歌っています。
色々な人が歌っていますが、やはり、映画で歌ったエミリオ・ペリコーリが、一番印象的です。ヒットしたのもこのエミリオ・ペリコーリ版だと思います。(間違っていたらごめんなさい)
この曲を聴かれた方は、ロマンチックだとか抒情的だとかうっとりするとかいう人が多いと思います。
昔の曲は、こういうメロディアスな曲が多かった様な気がします。まるで、恋人に向かって切々と恋する思いを打ち明けるような歌が本当に多かった。この曲はその代表的なものだろうと思います。
と言いながら、イタリア語の歌詞の意味は全くわからず、発音の分ったところだけ歌っていました。
イタリア語の歌詞
Al di la,del bene piu prezioso,ci sei tu
Al di la,del sogno piu ambizoso,ci sei tu
Al di la,delle cose piu belle
Al di la,delle stelle,ci sei tu
Al di la,ci sei tu per me,per me,soltanto per me
Al di la,del mare piu profondo,ci sei tu
Al di la,del limiti del mondo ,ci sei tu
Al di la,della volta infinita,al di la della vita
Ci sei tu, al di la,ci sei tu per me
Al di la
② レイキも音楽も癒しのエネルギー
私は、この頃から、英語やイタリア語、フランス語の歌を何の意味も分からず、発音もいい加減に歌っていました。多分、外国に対する憧れのようなものがあったのだろうと思います。余談ですが、大谷祥平がホームランを打った時、『すごい!』と、現地の司会者が叫びます。それぞれの外国の言葉と音楽には、母国語とは違う別のエネルギーを感じたからだろうと思います。私が今Neospace fuuでやっているレイキは、カタカナで書きますが、本来は、日本発祥のものです。20世紀初頭に臼井みか男(うすいみかお)先生が鞍馬山にこもり、レイキのエネルギーを発見します。鞍馬山を降りた先生には、全身にエネルギーが充満し、手を触れた人々に、次々と癒しの奇跡という感動を与えました。アルディラの歌も世界中の人に感動という癒しのエネルギーを与え続けています。どちらも随分昔の話です。しかし、日本中にレイキサロンが広がり続けています。Neospace fuuでは、レイキだけでなく、音楽や絵画そして図形を癒しのエネルギーとして活用しています。癒しは、~だけより色々なエネルギーを使う方が、効果的です。その癒しのエネルギーをご体験下さい。