癒しの音楽編(カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲)

カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲は、オペラの中の間奏曲です。作曲は、ピエトロ・マスカーニ右の写真です。左の写真は、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮によるカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲のジャケットです。カヴァレリア・ルスティカーナとは、日本語で田舎騎士道と訳されています。今回は、この間奏曲を中心に紹介いたします。

目次

 Ⅰ マスカーニについて

 Ⅱ 癒しの音楽編(カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲)について

 Ⅲ ヴェリズモオペラについて

 Ⅳ 悲劇を産まないために

Ⅰ マスカーニについて

 先ずは、作曲者のピエトロ・マスカーニ(1863年12月7日~1945年8月2日)について紹介いたします。ピエトロは、パン屋の両親の元に生まれます。父は、ピエトロに法律を学ばせましたが、音楽に強い関心を持ったピエトロは、故郷の音楽院で音楽を学び、20歳にならぬうちに、交響曲やオペラ、カンタータ等を作曲しました。1890年、ある音楽出版社のコンクールにカヴァレリア・ルスティカーナというオペラを応募し、当選します。これが、驚異的な成功をおさめ、代表作となります。同時期に活躍したオペラ作曲家のプッチーニは、友人でライバルとなります。

 イタリアにファシスト政権ができると、スカラ座監督をねらってムッソリーニに接近。このため、イタリアが第二次大戦で降伏すると、全財産を没収され、ローマのホテルで寂しく生涯を終えます。

Ⅱ 癒しの音楽編(カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲)について

 劇中で演奏される楽曲の中で最も有名な曲です。その為、単独での演奏が多いようです。この美しい旋律には、歌詞がつけられ、『マスカーニのアヴェ・マリア』としても、広く知られているようです。この曲は、アヴェ・マリアの歌詞がつくほど、美しい旋律である事は、聴いてみれば分かると思います。 

 ところが、歌劇の内容は、美しい旋律に相反しています

 シチリア島のある村の復活祭の日の朝から始まります。主人公である元軍人のトゥリッドゥは、かつての恋人であるローラが村の馬車屋であるアルフィオと結婚したことを知ります。トゥリッドゥは、恋人を忘れるため、村娘のサントゥッツァ(サンタ)と婚約します。しかし、ローラを忘れる事ができないトゥリッドゥは、ローラと密会を重ねます。それを知ったサンタは、嫉妬に狂い、アルフィオにその事を告げ口します。アルフィオは、トゥリッドゥに激怒し復讐を誓います。サンタは、事の重大さに気付き後悔します。-・・・・ここで、この間奏曲が流れます。この曲のあまりの美しさに、これから起こる悲劇が逆にクローズアップされます。

 教会のミサが終わり、村の男達は、トゥリッドゥの母の酒場で乾杯します。が、アルフィオは、トゥリッドゥがすすめた杯を断わり、決闘を申し込みます。アルフィオがいったん去った後、トゥリッドゥは、酒に酔ったふりをしながら母に「僕が死んだらサンタを頼む」と歌います。トゥリッドゥが酒場を出てしばらくして「トゥリッドゥさんが殺された。」という女の悲鳴が二度響きます。村人の驚きの声と共に幕は閉じます。

Ⅲ ヴェリズモ・オペラ(19世紀終わりから20世紀初頭)について

 オペラと言うと、華やかで豪華な舞台、そして、主人公も王族や王妃と言ったようなイメージがあります。が、このヴェリズモ・オペラに関しては、全て真逆なイメージになります。舞台は、都会ではなく村であり、主人公は、王族ではなく一般庶民です。内容も、絵空事ではなく、人間の醜さをあえてさらけ出し、真実味のある物語となります。歌唱は、それまで、技巧に走った美声を追求するのではなく、あくまで、迫力ある表現力を追い求めています。その最たるオペラが、この「カヴァレリア・ルスティカーナ」や「道化師」というオペラです。二つのオペラとも一時間少しですので、一つの舞台で、同時に上演される事が多いようです。ちなみに、私は、TVで、プラシド・ドミンゴが演じたトゥリッドゥとカニオ(道化師の主人公)を観たことがあります。ドミンゴは、当時かなり若かったので、せっかくの二枚目が、台無しとまで言いませんが、なりふり構わず必死に役に没頭する姿は、鬼気迫るものがありました。そうでないと、このオペラは、成立しないのだと思います。というより、本当に素晴らしい舞台だったと思います。ヴェリズモオペラ華やかりし時、絵空事よりも人間の本当の姿を描いた舞台の方が好まれた時代だったようです。 

Ⅳ 悲劇を産まないために

 人間は、人間が誕生した時から、幸せになるために生きています。しかし、生老病死という言葉があるように、四苦八苦から逃れる術はありません。四苦八苦には、ほかに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦がありますが、これらオペラでは、こういう苦しみが盛りだくさんにあります。こういう苦しみがあるから、観客は、その事に共感し、それを見事に演じた人々に拍手をおくります。しかし、現実には、実際起きた犯罪や事件に共感する人はあまりいません。犯罪は、犯罪なので、この社会では、刑を受け、犯罪を犯していない親戚にも、白い目で見られる事になってしまいます。犯罪を犯したら、本人だけが、その責めを受ければ良いのですが、現実には、そうはいかないのです。その責めは、肉親にも及んでしまうのです。この世の中は、理不尽です。でもそれが現実です。それに、犯した罪に時効はありません。だから、犯罪を犯してはいけないのです。どんなに苦しくても、我慢するしかありません。ところが、ドラマの主人公が我慢したり平静でいたりすれば、何のドラマにはなりませんし、そんなドラマ誰も見たりしませんよね。

 だから、私達は、自分が絶対できない行動を代わりにしてくれる主人公に、思いを託して観るのです。

 これを読んでくれている皆さんには、オペラの主人公のような事がクレグレもないように、最後に、貴重な一言をおくります。『短気は損気。』

 よく考えてみると、この60年間、私は、かなりの短気でした。別の言葉で言うと瞬間湯沸かし器。怒り出したら止まりません。よくこれで、教師を長く勤めて来たと思います。この短気が、少し改善したのが、ある人から交流分析と気功を習った頃からだろうと思います。しかし、これだけでは、完全には、治りません。退職後に、本当の転機が来たのです。それが、レイキとの出会いでした。

 交流分析は、色々な本を読みました。でも、身につきません。しかし、レイキは、ただ、思いついた時に、自分の身体に手をあてるだけです。こんな簡単でいいの。続けるうちに『短気は損気』と思う事があっても、癇癪をおこさないようになってきました。例え、自分や人が間違ったことをしても、深く悩まず、心を切り替える事ができるようになりました。妻が書いていましたが、薄皮を剥ぐように、なんだか変わっていったような気がするのです。

 レイキをするのは、健康のためですが、健康は、必要な栄養、快眠、快便だけでなく、ストレスをどうコントロールするかにかかっています。ストレスは、この世からなくなりませんが、忘れたり軽くしたりすることは出来ると思っています。Neospacefuuでは、ストレスをコントロールする事で、健康に生き、生きがいある生活をおくれるように支援します。どうぞ、一度、アトリエにおこしください。

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