この曲(1968年)は、冬になると聞いてみたくなる曲です。特に、冬のスポーツを観ると聞きたくなります。それもそのはず、この曲は、グルノーブル・オリンピックの映画で使われたフランシス・レイの曲です。誰が、この邦名をつけたのかはわかりませんが、音楽にピッタリの題名です。フランシス・レイは、この曲から知るようになりました。
目次
Ⅰ フランシス・レイについて
Ⅱ 癒しの音楽編 (『白い恋人たち』=フランシス・レイ)
Ⅲ ドーピングとお金について
Ⅰ フランシス・レイについて
フランシス・レイ(1932~2018 )は、フランス・ニース出身の作曲家。イタリア系フランス人。少年期からアコーディオンを弾いていたそうです。アコーディオン奏者から作曲家に転身しフランス風な哀愁漂うメロディーが特徴。
1966年の映画『男と女』の主題歌を手掛け、ここから、彼の飛躍的な音楽人生が始まり、毎年のように映画の主題歌を担当し、ヒットが続きます。彼のヒット曲の中で、一番有名なのが、『ある愛の歌』(1970年)でしょう。アンディ・ウィリアムスの歌でヒットするのは、1971年のようです。英語の題名は、『ラブストーリー』です。フランシス・レイについて書いたネットの情報が少なく、次にあげたシングル等の題名しか挙げられませんでした。たぶん、彼が大の飛行機嫌いだったため、海外公演が少なく、そのため情報が少なかったのかもしれません。そこで、下記には彼が多く手掛けた主要な映画の音楽作品を載せます。
・『男と女』1966年
・『個人教授』1968年
・『白い恋人たち』1968年
・『ある愛の歌』1970年
・『ビリティス』1978年
Ⅱ 癒しの音楽編 (『白い恋人たち』=フランシス・レイ)
本曲は、1968年に開催されたフランス・グルノーブルの冬季オリンピックの記録映画『白い恋人たち』の主題曲として作曲されました。映画本編中にこの曲が効果的に使われているそうです。エンディングでは、オリンピックの13日間とグルノーブルの熱狂と静寂を歌ったコーラスが使われているそうです。
日本では、シングルレコードとして、販売され、文化放送の「ユア・ヒットパレード」で、1969年の年間2位となっています。日本の歌手では、ザ・ピーナッツやいしだあゆみ等がアルバムで取り上げています。この曲のイメージとして雪や壮大な雪山などの大自然そして、そこで、幸せに戯れ遊ぶ恋人達を思い浮かべることが出来ます。冬景色なので寒く厳しい感じを想像するかというと、涼しく爽やかで新鮮な空気感を感じます。もうじき、クリスマスが近づきますが、クリスマスを祝う家の光と暖炉に包まれた暖かな家庭『ジングルベル』や『赤鼻のトナカイ』のような雰囲気とは違った愛のエネルギーを感じるのは、私だけではないのではと思います。
Ⅲ ドーピングとお金について
冬のオリンピックというと、ある国や一握りのオリンピック選手のドーピングが世界中のマスコミで問題化されています。どうして、ドーピングをしてまで、金メダルを追い求めようとするのか?ドーピングをする事で、人の体は、蝕まれ健康な身体から将来取り返しのつかない身体になります。金メダル等のメダルを取った人々は、国に帰れば、盛大な歓迎を受けるだけでなく、数々の報奨金や多くのスポンサー契約が待っています。かつて、日本では、こういう事は全くなく、お金が手に入るというより名誉だけでした。名誉を得るためだけに何年も死力を尽くして頑張ったのです。日本では、少し改善され、いくらかの報奨金が出るようになりました。しかし、プロの競輪選手や競馬の選手そして、プロ野球の選手等に比べると、メダルをとってもお金にならない競技がたくさんあります。では、何故人はそれでもスポーツをするのか?
私も、大したことはありませんが、朝起きると直ぐに、腹筋や腕立て伏せ、スクワット等をします。また、晴れの日は、買い物をするために自転車で行きます。きっと私がそういう運動をする事とオリンピック等の大会に向けてスポーツをしている人たちと同じ気持ちというのは、おこがましいですが、きっと、似たものがあるのではと感じます。似たものというのは、ただ、運動ないしスポーツをする事が楽しいのです。動くことが楽しいのです。もっと言うと幸せなのです。よく、忍耐とか根性とか言いますが、スポーツを始めた時、そんなものは誰も持っていません。ただ、楽しいから面白いからやっているだけなのです。それが、いつの間にか勝つために、つまり勝利至上主義になり、勝つことでしか達成感が得られないようになっている人やチームを見かけます。それに加えて勝つことで名誉だけでなくお金が得られるようになれば、かつて、運動やスポーツをするだけで心地よかった筈のものが、目的が変わり、お金を得る事に執着するようになれば、主客転倒というべきだろうと思うのです。
運動やスポーツは、人の為やお金や名誉のためにするのではなく、ただ、楽しいからするのです。この本質を忘れると、ドーピングをしてしまう事になるような気がします。
人は、一歳になると、立って歩き始めます。きっと、立って歩くのが楽しい事を本能として、DNAに刻み込まれているからではないでしょうか。立って歩く事で、色々な物を観たり得たり触ったりする事ができます。立って歩くことは、人間が、生まれながら、勝ち得た自立という自由です。自立して自由に行動できることで、楽しさが生まれます。この自立への行動は、人間が、動物である事を決定づけていると思うのです。
自立への行動は、人のためやお金、名誉だけでなく、自分自身への愛のエネルギーが、湧き出した結果として生まれるのではと考えます。赤ちゃんは、生まれてからすぐに、手足を盛んに休むことなく動かします。それを、一年間続ける事で、立って歩く筋肉が出来上がり、誰の指示や命令がなくても、立ち、歩き出します。人間、いや、動物の原点を忘れて、人やお金そして名誉に縛られてする運動やスポーツは、不幸としか言いようがありません。あなたには、どうか、運動することだけで幸せ、運動できるだけで幸せ、そんな世界が広がっていけばと思うのです。
ただし、世の中には、手足の自由が利かない方もおられます。私は、そんな方々の気持ちは到底理解できません。が、私は、五感も運動の一部だと思っています。手足が動かなくても、この五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、聴覚)があれば、五感の行動は、発揮できます。あなたには、こういう運動(愛のエネルギー)を全て、発揮して、充実した人生を送ってもらえればと思います。