癒しの音楽編 『ほほにかかる涙』ボビー・ソロ

久しぶりにカンツォーネの話題です。以前紹介したイタリアのジリオラ・チンクエッティと同時代に活躍したボビー・ソロが歌った『ほほにかかる涙』を紹介します。カンツォーネとの最初の出会いは、高校の音楽の時間に、マリオ・デル・モナコとジュゼッペ・ディ・ステファノの歌からです。カンツォーネは、イタリア語で「歌」を意味します。ですが、日本で言うカンツォーネは、一般的に、クラシック歌手が歌う1880年代から1920年代に書かれたイタリアの歌曲をいう場合と、1960年代~1970年代に流行したイタリアのポップスの事をいう場合があるようです。今日ここで紹介するのは、イタリアのポップスの方です。

目次

Ⅰ ボビー・ソロについて

Ⅱ 癒しの音楽編 『ほほにかかる涙』ボビー・ソロについて

Ⅲ 縮小する音楽業界と音楽祭

Ⅰ ボビー・ソロについて

 本名(1945~)ロベルト・サッティは、ローマ生まれのイタリアの歌手でミュージシャン、俳優です。1964年にサンレモ音楽祭にこの曲で参加します。作曲は、彼自身です。この曲は、イタリアで初のミリオンヒットとなり、世界的ヒットとなります。1965年に、『君に涙と微笑みを』でも、自身が作曲し、同音楽祭で見事優勝します。同曲は、イタリアのヒットチャート1位も獲得します。尚、同曲は、日本で安井かずみさんが作詞して布施明さんがデビュー曲として歌いました。この曲のほかに、『ZINGARA』という曲も日本でヒットしているようです。

 彼は、エルビス・プレスリーのファンとして有名で、彼のピアノの歌唱法がエルビスと酷似しているのも頷けます。ひょっとして、アメリカに移住したのは、その為かもしれません。

 ボビー・ソロについて、他にも書く事がないか探しましたが、最初の奥さんの間に3人のお子さんがいる事と、再婚している事以外、顕著な逸話がありませんでした。

Ⅱ 癒しの音楽編 『ほほにかかる涙』ボビー・ソロについて

  1964年にサンレモ音楽祭で、入賞したこの曲で、ボビー・ソロは、日本でも知られるようになったようです。日本では、布施明、園まり、伊東ゆかりが歌っています。カンツォーネですが、ボビー・ソロの場合、歌い上げる感じではなく、ピアニッシモで優しく甘く歌っています。当時のカンツォーネは、クラウディオ・ビルラを中心に歌い上げる曲が多かったような気がします。ヒットした理由は、ソロのように、耳元で優しく愛をささやく感じの曲があまり無かったからだと思いますが、私の勝手な思い込みです。ハンサムな男性から耳元で愛を語られたら、当時の女性は皆、イチコロだったのではないでしょうか。この曲の前に、プレスリーの『ラブミーテンダー』『好きにならずにはいられない』が、ヒットしています。多分、ソロは、これらの曲を聴いていたと思います。プレスリーに憧れた青年が、こういう曲を作り、世界でヒットする。なんだか、感慨深くしかも嬉しく感じるのは、私だけではない様な気がします。

 ソロの曲は、どこかシャイな感じで甘く切ない感じの美しいメロディーです。こういう美しいメロディーの歌が少なくなってきた現在だからこそ、こういう曲を聴きたくなるのは、自然な気がします。

Ⅲ 縮小する音楽業界と音楽祭

 世界歌謡祭やヤマハポピュラーソングコンテスト等、レコード全盛時代には、こういう音楽祭が日本にはありました。音楽祭があるたびに、世界の有名なアーチストが訪れ、世界のアーチストと日本のアーチストが共演する事が多くありました。こういう音楽祭が少なくなった理由は、日本の国力が衰退したためなのかどうかわかりませんが、やはり、寂しい感じがします。武道館や東京ドーム、横浜アリーナ等で海外アーチストが、コンサートをする報道も少なくなった様な気がします。

 こういう報道が少なくなるという事は、老若男女皆が、知っている音楽が少なくなる傾向になります。

 今の音楽は、言葉数が多く、リズムが早く、メロディーラインが分かりにくいように思えます。一部の人達の人気をベースにしたライブの観客動員は増えています。それって、本当に音楽の裾野が増えたのでしょうか。「歌は、世につれ、世は歌につれ。」という言葉がありました。が、それも、過去の言葉になってしまった気がします。一つのヒット曲がその時代を投影する時代は、終わり、今の時代のヒット曲は、ある特定の人だけの時代を反映する歌になり、共通に話せる歌がない時代が来てしまいました。1990年代以降は、どの時代を反映した歌なのか全くわからない時代が来てしまったようです。

 しかし、若者たちは、今の曲だけでなく、ネットを通じて、何十年前の曲を見つけ、自分にあった曲を探す時代が来ました。いつの時代であるとか、もう何も関係ありません。自分にとって良い曲が良いのです。最早、どこの国の曲とかも関係ありません。言葉も関係ありません。アーティストの存在さえ関係ありません。良いと思った曲が良いのです。私が、今まで紹介してきた曲は、私が、勝手に良いと思って紹介してきました。ひょっとしたら、忘れ去られる曲もあるかもしれません。たとえ、忘れ去られても、いつか、誰かが、曲を掘り起こして聴いてくれる事もきっとあると思っています。音楽業界や音楽祭等がなくなっても、良い音楽は、きっと誰かが、いつか探しあててくれるだろうと思うのです。そういう意味では、今の時代は、選択の幅が広がり、いい時代になったとも思えます。だって、今の私は、携帯さえあれば、曲名さえ覚えていれば、いつでも、その曲を聴くことが出来るのですから。

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