癒しの音楽編(上を向いて歩こう=坂本 九)
今回の癒しの音楽編は、坂本九が、1963年に日本からアメリカ、世界中でヒットした『上を向いて歩こう』を紹介します。1961年に作詞 永六輔、作曲 中村八代が坂本九のために作りました。テレビの「夢で逢いましょう」の今月の歌で歌われ、日本中でヒットしました。上の写真は、ヒット後、映画化されたエンディングの一場面です。主役は、坂本九です。浜田光男、吉永小百合、高橋英樹が共演しました。この曲は、本来、アメリカでレコード発売する予定はありませんでした。が、この曲は、ヨーロッパで、様々な人が演奏し、ヒットしたようです。その後、アメリカでもワシントンのディスクジョッキーが坂本九の『上を向いて歩こう』をラジオで紹介した事がきっかけで、アメリカ中で大ヒットします。ただ、題名は、『スキヤキ』だったそうですが。
目次
Ⅰ ①坂本九について
②九ちゃんの独特な歌唱法
Ⅱ 癒しの音楽(上を向いて歩こう=坂本九)
Ⅲ クロスオーバーがもたらした奇跡
Ⅰ ①坂本九について
坂本九は、私の大好きなタレントでした。特に好きだったのが、南総里見八犬伝の人形劇での黒子役で演ずる軽妙洒脱な語りでした。歌に関しては、少し、ハスキーで声が大きくなかったので、あまり注目していませんでした。しかし、年月を経るにつけ、段々と九ちゃんの声が温かく耳に残るようになりました。たぶん、初めて聴いたアメリカの人々は、声に明るく温かいエネルギーを感じたからこそ、三週間もNO.1の座に輝いたのではと思っています。
次に坂本九が、どうして、この歌を歌うようになったのか、その生い立ちと絡めて、書きます。
坂本九は、1941年、神奈川県川崎市川崎町生まれ。日本の歌手、俳優、タレント、司会者。1960年に『悲しき16歳』でデビュー。10万枚のレコード売上。『上を向いて歩こう』は、アメリカで100万枚売り上げる。世界では、何と1300万枚以上と言われています。
残念ながら、1985年8月12日に日航ジャンボ機墜落事故で帰らぬ人となります。520名の犠牲者の一人として報道されましたが、当時、30歳の自分にしても、相当ショッキングな出来事で、報道を聴きながら涙したことを今でも覚えています。
②九ちゃんの独特な歌唱法
ウィキペディアによると、九ちゃんは、幼少時から、兄弟や花街という土地柄や稼業などの影響で邦楽や洋楽の影響を多分に受けたそうです。家族や兄弟は、ジャズ、シャンソン、芝居、日舞、三味線、邦楽に親しんでいました。また、ヨーデルにも影響を受け、ファルセットボイスを修得し、それを利用したレコード『ステキなタイミング』を録音したそうです。当時流行したロックンロールを三味線からギターに持ち替えて、邦楽独特の「う~えをむ~いて」を「ウフエへヲホムフイテ」というような言葉の裏の音「ウフ」「エヘ「ヲホ」というように邦楽の素養も身に着けたようです。
17回目のブログで、クロスオーバーの話をしました。が、坂本九も、いいものは、何でも吸収し、それを自分の芸に活かし聴く人を魅了していったのかと思いました。大谷選手の二刀流どころか多刀流と言っても良いかと思います。
Ⅱ 癒しの音楽(上を向いて歩こう=坂本九)
レコーディングで、坂本九が歌う『上を向いて歩こう』を初めて作詞家の永六輔が聴いた時、坂本九の歌い方に激怒し、「これは、絶対ヒットしない。」と言ったそうです。ところが、この裏の音を使う歌い方は、邦楽だけでなくエルビス・プレスリーやバディー・ホリーもしていたそうです。試しに、エルビスの『I WANT YOU,I NEED YOU,I LOVE YOU』を聴いてみてください。裏の音をたくさん使って歌っています。一見、ふざけているような感じがしますが、この歌い方が何とも心地良いと感じられるのは、私だけではないと思います。きっと、九ちゃん自身も、色々な人の心地よい歌い方をマネしながら、この歌い方が自然に身についたのではと考えます。また、世界中の人々は、初めて接する日本語の歌に親近感を覚えたのは、間違いないと思います。事実、アメリカのレコードの販売元であるキャピトルレコードが、坂本九をアメリカに招いたところ、飛行場には、3000人ものファンが押し寄せたそうです。坂本九の声に魅せられたのは間違いない事だろうと思います。この曲は、軽妙なリズムと美しい旋律そして、坂本九の声と歌詞が混然一体となってエネルギーとなり、人々の心をとらえました。それは、見知らぬ外国から来たエルビス・プレスリーだったのかもしれません。もちろん、坂本九は、エルビスの歌を当時、歌っていたようです。ですから、この歌い方が、聴きようによっては、エルビスに似ているような感じもするのです。
Ⅲ クロスオーバーがもたらした奇跡
ここまで書いてきました通り、この曲のヒットは、間違いなく作詞と作曲と歌い手による共同制作のエネルギーが生んだ奇跡だと思います。何しろ、言葉に関しては、世界中の誰も日本以外は日本語を知りません。誰が、何を言っているかさっぱりわからないのに、1300万枚ものレコードが買われたのです。この曲は、当時日本においても世界においても、新鮮で心を満ち足りた気持ちにさせる音楽だったと思います。当時の日本は、経済成長著しい時代とは言え、まだまだ、貧しい時代です。その時代に、人々を励ますような明るく温かい声が街中を響かせました。しかも、坂本九のあの独特のちょっぴりハスキーな声と発音から発せられる言葉は、妙に心地よく感じたのかもしれません。この心地よさは、三者のコラボが生んだ奇跡だというほかありません。
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